神愛ブログ

2012年7月 9日 月曜日

救いをもたらす死生観 (キリスト教の死生観)


何のために生き、死んだらどうなるのか、
そういった人生観・死生観を明確に持つことは大切なことです。


日本人の一般的な死生観は、死後のことはあまり考えず、
今の人生をどう生きるかに焦点を置いていることが多いと思います。


生きる意味や人生の目的を考えるよりも、
どう楽しく生きるか、いかに幸せに生きるかというような、
本能的な欲求に基づく生き方のほうが重視されています。


積極的な考え方をする人なら、
「有限な人生なのだから、精一杯生きよう。」
「死んでも後世に名を残すような、価値ある事を成し遂げよう」
というように、前向きに生きられるでしょう。


しかしながら、年間3万人以上もの人々が自ら命を絶つ自殺大国であることからも、消極的な考え方をする日本人は多いのではないでしょうか。

「人間は偶然の産物」
「死んだら何も無い。今の世がすべて」
「輪廻転生して、何かに生まれ変わるかもしれない」

そのような前提に立ってしまうと、人生はあまりにも儚く、虚しいものとなってしまい、命を大切にしようという気持ちが薄れてきます。


私自身、10代の頃はそのような生き方でした。
「いつ死ぬかも分からないのに、苦労して生きたって仕方ない。
楽しければそうでいいや」
そう思って、好き勝手な生活をしていました。



そんな私の生き方を大きく変えてくれたのは、聖書の御ことばでした。


「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、
御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、
キリストにおいてお選びになりました。」
 
              
                   (聖書、エペソ1:4・新共同訳)


人間は、創造主なる神さまによって造られた。
神さまは私たちを愛し、素晴らしい計画を立ててくださっている。
決して偶然の産物なんかではなく、しっかりとした意味のある、価値ある存在だ。



そのことを初めて教えられたとき、本当に私は救われました。
何をやっても空しく、どう生きたらいいのか分からない。愚かで、どうしようもない私に、神さまは、生きる意味と希望を与えて下さいました。



あなたには希望がありますか?

ただつらくて苦しい人生だと思っていませんか?



あなたをお造りになられた神さまは、次のように語りかけて下さっています。


「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。

それは平和の計画であって、災いの計画ではない。
将来と希望を与えるものである。

そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。

わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」


                                 (聖書・エレミヤ29:11~14、新共同訳)



あなたが、救い主である神さまの愛と救いを豊かに受け取ることができますよう、お祈り致します。


キリスト教の死生観、聖書

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投稿者 神愛セレモニー